夕香は言われたとおりに二階に行って月夜がいるらしい部屋の扉を開けた。部屋の奥か
ら聞こえてくるのは一つの呼吸。なるべく音を立てないように歩を進めそっと真ん中に敷
かれている布団の傍らに膝をついた。
 すうすうと健やかに寝息を立てている月夜の頬にそっと触れてため息をついた。月夜の
体から感じられるのはただの霊力だ。
 顔色は少し青ざめてまぶたは力なく閉じられている。熱はないらしくただ眠っているら
しい。
「もう」
 そっと髪を梳いて目を伏せ拳を作った。ぐっと拳を作り顔を伏せた夕香にそっと暖かな
手が触れた。
「そんな顔をするなよ、夕香」
 数日前に聞いたあの苦しげな声。あれが耳について離れない。
  表情も何も見えていなかったが声だけが耳についている。すこし、視界が歪んだ。
「夕香?」
 起こしてしまったのだろうか、月夜が体を起こす気配があった。目は意識に逆らって重
力に従う。そのまま体が力を失い、崩れたのを感じた。
 かくんと力を失った夕香をとっさに抱きとめて顔を蒼くした月夜は夕香を支えて顔色を
検分した。月夜より顔色が悪い。真っ青ではなく真っ白だ。
「無理してたのか?」
 自分が寝ていて温まっている布団に寝かせると嵐に一つ文句でも言いに行こうと立ち上
がった月夜の袖を夕香の手がくいと引っ張った。強くない力だがそれに逆らえずに月夜は
そこに座った。離してもらえそうにもない。そういえば、前にもこんな事があった。
 まだ、疲れはいえきっていない。自分に起こったあの神気放出の疲れも、夕香に殺され
た疲れや貧血も癒えてない。目眩が襲う視界に目を細めて夕香の傍らに横たわった。少し
寒い。隣にいるだけなら平気だろうかと考えてそっと夕香の布団の中に入って目を閉じた。
 抱き寄せたい衝動に駆られて引き寄せると力ない柔らかな肢体が少し冷えた月夜の肌を
温める。もしやと思い額に額を重ねてみると夕香のほうが暖かかった。
「微熱か」
 それほど熱くないのに安心して体を反転させ夕香がうつぶせで月夜の胸に寄りかかるよ
うな形になって月夜はため息をついた。鼓動が聞こえるように顔を左側に倒してやってそ
っと髪を梳いた。ふわふわとした細い髪の感触。滑らかにすべり頭から背へむかう。意識
しているわけではないのだが少し鼓動が早まってしまったような気がする。
「据え膳食わぬは男の恥か」
 眠る前、からかい半分に言われた凛の言葉を思い出して一人赤面した。ため息を吐いて
夕香の背を一定のリズムで叩いていると自分も眠くなった。目を閉じてそうしているとい
つしか月夜も眠りについていた。
 ふと、夕香は目を覚ました。いつ意識を失ったかがはっきりしないがさっきまで暖かい
何かが自分の頭をなでていたことを覚えていた。体を起こすと不思議と体が軽かった。そ
して、記憶がよみがえった。ここには月夜が寝ていたのだ。
 立ち上がるとそこにはもう月夜の姿はなく、部屋を出ると浴衣を着流した染めたらしい
茶髪の誰かがいた。
「昌也?」
 いるわけないと思いつつも聞くと誰か、というより月夜が肩を震わせて爆笑し始めた。
「寝ぼけんのもいい加減しろよ。あほ狐」
 軽く叩かれてその屈託ない声に逆に驚いた。
「月夜?」
「ああ。どうだ、具合は」
 首をかしげるととりあえず部屋に入れと背中を押されて入って布団を片付けてから、月
夜が持ってきた果物をかじった。その間、月夜に今までのことを教えてもらった。
「熱を熱だと感じないのは驚いたな。だるいとか感じてなかったのか」
「まったく。布団見たら眠くなっただけ」
「その後、バタンキューだったんだからな。二日寝っぱなし」
「へえ。あたしは別にいいけど。あんたは? 体おかしくないの?」
 その言葉でやっと月夜は自分の体に起こった異変を思い出した。今まで何もなかったか
ら忘れていたのだ。
「ん、ああ。別に。凛の姉貴がいっていたとおりだ。言われてみればお前の神気に似てた
な」
 もっと言うならば、もしかしたら月夜も何かの混血児だったのかもと凛が言っていた。
匂いは人間だけど血を封印されていたのだったら嗅ぎ取れないからねえと肩をすくめてタ
バコをふかしながら言っていた。
「あと、つかまってるときに、いろいろ聞き出したんだが、発端は異界の妖の里の神殺し
だそうだ。んで、俺たちは神殺しされたらへんに異界にいたみたいで追われてるって」
「じゃ、任意同行じゃ」
「まあ、な。俺たちの組み合わせは訳ありで、教官が勝手に決めてくれたらしい」
「どういうこと?」
「どういうことも何も、教官が独断で決めたらしくて、この組み合わせを引き離したくて
俺たちを追っているという感じかな?」
「は?」
 そんな怒って聞かれてもしらねえよと月夜は鼻を鳴らしていうと自分が持ってきた果物
を手にとって犬歯で噛み砕いた。
 その様子を見て夕香は首をかしげた。犬歯が嵐みたいにようなきがした。
「月夜、いーして」
「は?」
 月夜はきょとんとして首を傾げたが夕香の言うとおり唇を横に開いて前歯が見えるよう
にした。夕香はしげしげと見て眉を寄せた。
「犬歯、おっきくなってない?」
 その言葉に月夜は親指で触って眉を寄せた。確かにそうかもしれない。前まで普通に唇
の中に納まっていたのに今は少しはみ出しているような気がする。
「ねえ、今、力は封印しているの?」
「いいや、とりあえず収まっているから何もしていない。術を使うことによってそれが暴
れるならばしないほうがいいだろうと思って」
「してもいい?」
「ああ」
 うなずいて目を閉じた。夕香はかじっていた果物を放って月夜の肩に触れた。
「画して汝、力振るう事勿れ」
 短い文句と共に夕香の手を伝って熱い物が流れてきた。それが収まるのを待って月夜は
犬歯に触れた。気にしていなかったが収まりがよくなった気がする。
「元に戻ったね」
「どういうことだ?」
「あたしが完璧に力抑えたら髪が黒くなるのと同じよ」
 夕香は深呼吸してぐっと体に力を込めた。そのとたん毛先の方から黒が広がり夕香は黒
髪の少女になった。黙っていればきれいな女だなとなんとなく思って顔を引きつらせた。
「わ、化けた」
「化けたんじゃない。こういうことよ。霊力以外の力を持っているとそれを使うのも封じ
るのもできるでしょ」
「完璧に封じるとただの人になるってことか。半妖は」
「そ。身体機能の向上はもうオプションみたいなもんだからどうしようもないけど、外見
に関してはどうにかできるのよ」
 多分、そういうことだと思うというと、夕香はふと月夜の髪に目を向けた。
「んで、どういうことなの、その髪」
 摘むと月夜はたっている夕香を見上げて苦笑した。
「姉貴に遊ばれてた」
「どういう」
「茶髪にしたら昌也に似るのかとか言ってきて化けてみたらこのとおり。忘れてた忘れて
た」
 そういうと月夜は元の姿に戻って着流しの月夜に戻った。茶髪にしても昌也には似てい
ないような気がするなと思うと夕香は月夜の中にある力に集中した。
「何してんだ?」
 月夜もわからないほど鈍感ではない。体の中を探られるような不思議な感覚に鳥肌を立
てて夕香を見上げる。
「どうみてもただの人よね。霊力しかないし」
「じゃあ、お前は何を封じたんだよ」
「霊力以外の力っていう括りかたしたんだけど封印した後探すのは不可能だったみたいね」
 ふっと解かれ月夜は詰めていた息を吐き出した。夕香は座って月夜の背に寄りかかった。
「何だよ」
 いきなりのことで月夜は肩をこわばらせて首だけで夕香を見ると夕香は目を閉じて何か
を考えているようだ。
「何してんだ?」
 振り返って夕香を受け止めると夕香はため息を吐いて自分で起き上がった。
「で、どうするの? こっから先」
 突然振って来た話題に首を傾げたが月夜はため息をついて肩をすくめた。俺たちの手で
負える物だったらいいがそうじゃないだろと目が言っていた。
「どうしようもないだろうけど、とりあえず、白空じゃないか?」
「でも、追える物じゃ」
「位置がわかるようになったと、言った方がいいかな。近くにいる。この屋敷から離れて
るが、追えない距離じゃない。相手は、気づいていない」
「なんで?」
「わかんない。でも、いいじゃん。使えんだから」
 なぜか、いつもの月夜より単純になったような気がした。すぐに変わるはずないのに変
わった気がした。
「ま、そう簡単に相手は尻尾つかませてくれなかったんだ。罠の可能性もあるな。……あ
れ?」
 月夜は頭を抑えて眉を寄せ舌打ちをしてから目を閉じた。体をこわばらせている月夜に
寄り添うと月夜から体を預けてきた。まだ辛いのだろうか。



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